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自分を捨てる

三鷹教室

こんにちは。三鷹教室の古賀です。

最近家にあるものを捨てまくってましたが、いい加減捨てるものも無くなってきました。

ということで最後に捨てるものを探していたのですが、それは「自分」であると気付きました。
自殺するという話ではありません。

人間は自分を捨てるべきなのです。
ここでいう自分というのは「私心」や「我欲」のことです。

このことをずっと忘れていました。

大学時代に古代インド哲学・思想に傾倒していた時期があった(ハマリすぎて大真面目にサンスクリット語の勉強までしてた…)のですが、その頃毎日のように読んでいた『バガヴァッド・ギーター』には「自分を捨てる」ことについて書いてありました。

『バガヴァッド・ギーター』とは、インド古代叙事詩『マハーバーラタ』(世界史やってると出てきますね)の終盤、アルジュナ王子が異父兄弟のカルナと戦わなければならない場面で、アルジュナが兄弟であるカルナとは戦えない…と迷い、弱音を吐いたところで、クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)が「クシャトリア階級(武士)の人間は戦うべきなのだ」、ということを説くシーンを抜き出したものです。

人は結果を求めるから我欲が生まれるのであって、つまり我欲(自分)を捨てるためには「結果を求めない」ということになります。
しかし、そこで結果を求めないんだったら努力もクソもないじゃーん、と考えるのは間違いだと言うのです。
努力はする、けど結果を捨てる(本では「放擲する」って表現になってました)、というのは
「結果を自分に求めない」ということでした。

こんなに頑張ったのにテストの点上がらなかった~ とか

こんなに働いてるのに全然金貰えないじゃ~ん とか

努力の結果を自分に求めるとこんな風に考えてしまうということです。
こういう考えは最終的には嫉妬やルサンチマンへ至り、まぁロクなことにはなりません。
皆さんも何かしら経験があると思います。自分もあります。

じゃあ努力した結果はどうやって捨てるのか。
それは「神に捨てる」ということです。 ことです、ってお前 って感じですけど。
ここでいう神っていうのは具体的に何かの神様を言っているのではないと思います。(別に何かの神様を想定しても問題はないと思うけど)
つまり「神」というのは「現世的・物理的な人間を超越した何か」だと思います。
そういう人間を超越した観念に結果を任せてしまえば、人間というのはただひたすらに目の前にあるものに対して努力することが出来る、ということだと思います。

たしかに今まで生きてきて勉強にしても楽器の練習にしても、「将来役に立つはずだから頑張る」とかそういう考え方が心底嫌いでしたし、今も嫌いです。
特に楽器は今もかなり練習してる方だと思うのですが(最近は朝早起きして塾に来る前に3時間くらいは弾いてる)、そういう時にも「上手くなりたいから」とか考えたことはないです。
ただひたすらに本気で練習をやるけど、結果は「神に捨てて」るはずでした。

最近自分は色々とくだらないことを考えていた気がするのですが、それもこれもこの「結果を神に放擲する(捨てる)」ことを忘れていたからだと思います。

反省です。

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