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天誅

武蔵関教室

こんにちは、武蔵関教室の高柳です。

今日7月8日はあの有名な「池田屋事件」が起こった日です。池田屋事件といえば何が思い浮かびますか?「近江屋事件」ではないですよ。

そうです、新選組です。

1863年9月30日に起こった「八月十八日の政変」によって京都を追われた長州藩を含む尊王攘夷派の志士たちは、勢力挽回を狙って京都内に潜伏。さらに「人斬り」と呼ばれた尊王攘夷派の志士たちが「天誅」と称して要人の暗殺を行っていました。

そのような京都において、新選組は不逞浪士の取り締まりと市中の警備・捜索を任されていました。

翌年の5月、新選組は長州藩と宮家とをつなぐ大元締として活動していた尊王攘夷派、古高俊太郎の存在を突きとめ、捕縛し拷問。古高から長州人が企てた勢力挽回のための「御所焼き討ち計画」を知ることになります。

またさらに捜索を行うと、古高奪還のための協議が池田屋もしくは四国屋で行われることが判明したため捜索を続行。

そして7月8日夜10時すぎ、新選組の近藤勇率いる捜索隊が池田屋で協議中の尊皇攘夷派志士を発見し、突入。近藤らは9名を斬殺、4名を捕縛するという大きな手柄を挙げました。

この事件によって新選組の名前は知れ渡るようになりさらに発展、反対に尊王攘夷派は逸材を失って大きな打撃を受けることになり、明治維新へ大きな影響をもたらしたと言われています。

「新選組」は多くの人が興味ひかれる存在ですが、スポットが当たり始めたのは昭和初期からで、それまでは明治政府の賊軍との見方から新選組を批判する風潮が強かったようです。

一人ひとりが自分自身の正義を賭けて戦った「幕末」。ぜひ学んでいきましょう!

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