ネタバレなど知ったことかという覚悟
こんにちは。
真実はいつも1つ!
……とは限らない!!
と思っている、新川教室の吉田です。
野口先生も触れていらっしゃいましたが、先週末に劇場版「名探偵コナン」の最新作『から紅の恋歌(ラブレター)』が封切られましたね。
劇場版はこれが21作目。
これまでの20作品はすべて観ていますので、今作も見逃すわけにはいきません。
今回のメインキャラクターは服部平次。
その彼の大ファンだという関村先生は、公開初日(4/15)に劇場へ足を運ばれたとのこと。
さすがにチェックが早いですね~。
負けじと僕も、次の日の 4/16 には映画館に赴きましたよ。
ええ、『夜は短し歩けよ乙女』を観るために。
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というわけで、劇場版コナンです。
前作『純黒の悪夢(ナイトメア)』の公開に際して、劇場版作品の人気投票が公式に行われたことをご存知でしょうか。
その結果、第1位に輝いたのは、7作目『迷宮の十字路(クロスロード)』でした。
舞台は京都、そして服部平次が活躍するという構図。
『から紅の恋歌』の設定は、この人気投票の結果を受けてのことだろうと、そう邪推しております。
劇場版コナン。
これまでの20作品のうちで最も好きなのは、何といっても『時計じかけの摩天楼』です。
そう、記念すべき、第1作目ですね。
そのラストシーン。
ヒロインの毛利蘭が、時限爆弾の解除をしなければならなくなり、最終的に、赤か青どちらかのコードを切るという選択に迫られる場面。
主人公である工藤新一は赤色が好きで、しかもその月のラッキーカラーも赤──
という強烈な暗示があったにもかかわらず、蘭はあえて青色のコードを切ります。
その理由が、「赤い糸は、新一とつながっているかもしれないから(切りたくなかった)」というもの。
いやあ、何度観ても、いいですね。
ここで僕が称揚したいのは、蘭のロマンチシズムでも、センチメンタリズムでもありません。
僕が称揚するのは、彼女がラッキーカラーなどという自分の外にあるふんわりした概念にではなく、自分の中にある確固たる「新一への想い」に殉じたところです。
ラッキーカラーを信じるのも、運命の赤い糸を信じるのも、大差はないかもしれない。
しかし決定的に違うのは、前者を選ぶのは単なる思考停止に他ならないのに対し、
後者を選ぶとき、そこには「赤い糸(新一とのつながり)を切らずに済むのなら、たとえ死んだって構わない」という覚悟があるということです。
覚悟なき選択には後悔がつきものですが、覚悟ある選択に後悔はありません。
ですから、「青いコードを切った結果、爆破を免れた」というハッピーエンドそのものには、実は大した意味はないんですね。
その選択の「正しさ」はどうしたって事後的にしか決定されないからです。
たとえ蘭が青いコードを切った結果、爆破して、新一や周辺の一般人もろとも吹っ飛んでいたとしても、彼女が自身の想いに殉じたということの美しさは、けっして否定されることはありません。
蘭のとった行動の価値は、その結果ハッピーエンドだったことではなく、その結果がどうあれそれを甘受するという「覚悟そのもの」にあるのです。
──結果よりも覚悟を。
僕が『時計じかけの摩天楼』から得た訓辞です。
そのように生きていきたいし、そのような価値基準もあるのだということを、何らかの形で伝えていけたらと思う今日この頃です。