ネッシーを信じますか。
こんにちは。
武蔵野進学セミナー吉祥寺教室の打江です。
先日5年ぶりに武蔵野進学セミナーのブログを書きました。
過去やそのとき起こっていることを丁寧に思い出すことで一度立ち止まり、考え、リスタートする、
『書く』とはある意味小さな節目となりいいものだと思います。
ブログを書かなかった間で個人的に1番衝撃的だった出来事は何だっただろうかと振り返りました。
大きく2つあるのですが、そのうちの1つは愛する祖母とのお別れです。
コロナ禍となり約1年が過ぎようとしていた1月の朝-祖母はあまりに突然天国へ旅立ちました。
あと1日すれば95歳のお誕生日。祖母の年齢やコロナという状況を考えますと、
全く苦しむことのない最期だったということが我々家族にとって唯一の救いでした。
旅立ちの2日前、祖母と私はビデオ電話で話していたこともあり、さいごの祖母の顔が
昔から変わらぬ優しい笑顔のまま、今でも私の脳裏に焼きついています。
早朝、祖母が倒れたとの連絡がありました。救急車で病院に運ばれましたが、
意識が戻らず危篤状態-コロナ終息が全く見えない中、私はすぐに帰省しPCR検査の結果がわかるまで
地元の駅前ホテルに滞在。親戚含め高齢者が集う機会でもありましたので、万全を期してようやく
実家に着きました。安らかな表情ではありますが数日前のビデオ電話とはちがう、
全く動くことのない冷たくなった祖母との対面は、心が張り裂けそうなほどつらい瞬間でした。
色々なことが重なり、その年の新潟は35年ぶりの豪雪に-その中しめやかに葬儀を終えました。
さて、その大雪の中、葬儀から帰宅したときのことです。私はとても不思議な経験をしました。
車庫に車を入れ、荷物を持って玄関のドアを開けたまさにその瞬間・・・1羽の椋鳥(むくどり)が
私たちより先に家の中に入って行くではありませんか!それまで1度たりともなかったこと。
1匹の蝉だって入って来たことはありません。しかもその日は、私たちの悲しみを映し出すかのように
重々しくしんしんと雪が降っていて、1日中辺りはどんより薄暗かったものです。
そんな中椋鳥は、入るのがまるで当然であるかのようにスーッと家の中に飛び込んで行きます。
父と母は教えてくれました。
『きっとあの椋鳥は、おばあちゃんにさいごのご挨拶に来てくれたんだよ。律儀だね。』
その椋鳥とは、いつも庭の木に止まっていて、生前祖母が毎日お茶の間から愛おしそうに
それを眺めていたのだそうです。祖母と椋鳥は長年の”親友”だったのかもしれません。
そこでさらに不思議なことが-その舞い込んだ椋鳥が、いつどこから再び外へ出て行ったのか、
誰も知らないということです。これは結局わからず仕舞いでした。
椋鳥がどこへ旅立ったかはさておき、この一連の流れから『鳥』ということを考えますと、
そこには何か意味があるような気がします。なぜなら(例えば)『鳩』が平和の象徴でありますように、
『鳥』という種は吉兆のシンボルであることが多々あるからです。
「祖母の親友の椋鳥がご挨拶に来た」または「祖母が椋鳥に姿を変えて打江家の幸運を祈りに来た」
このような想像は尽きないのですが、今改めてじっくり思い出しますと、後にも先にもないであろう
とても貴重な経験をしたと実感いたします。
さてみなさん、大切な人とのお別れはこのように突然やって来ることがあります。
この経験を通して、普段心の中だけにしまっていることをその大切な人に伝えておくことが
どんなに大事なことか、私は身をもって知りました。ですからみなさんも、照れくさくて
言葉では伝えづらいこともあるでしょうけれども、機会がありましたらきちんと相手に
伝えられるといいですね。
最後になりましたが、今週から公立中学校を皮切りに続々と中学・高校の定期テストが
始まっています。生徒さんの努力が実り、さらなる『飛躍』となりますようお祈りいたしております。
良い結果とお知らせが舞い込んで来ますように。
それではごきげんよう。