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熱中できるものはありますか?

吉祥寺本校,武蔵関教室

こんにちは。

武蔵野進学セミナー吉祥寺本校・武蔵関教室の池田です。

 

11月は定期テストラッシュですね。

 

中3生の国語では「おくのほそ道」が範囲の人も多いと思います。

冒頭部分では、作者の松尾芭蕉が、「人生とは旅である。」という人生観を述べた後、自分も旅に出て詩歌の道を極めたいという心情を語るのですが、その中にこんな一節があります。

 

「…そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るものてにつかず。…」

(…そぞろ神がとりついて心をそわそわさせ、道祖神が手招きしているような気がして取るものも手につかない。…)

 

松尾芭蕉は、旅に出たくて仕方ない気持ちを、神にとり憑かれたかのような精神状態だと表現しています。

どれだけ旅に出たかったのか…。コロナ渦でなくてよかったですね…。

 

また、高校生だと、更級日記の冒頭「門出(あこがれ)」が範囲の人もいるかもしれませんが、これまた面白い話です。

作者の菅原孝標女という少女は物語(「源氏物語」など)が好きでたまらないのですが、なかなか手に入らずじれったくなり、次のような行動に出ます。

 

「…等身に薬師仏を造りて、…『京に疾く上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ。』と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに…」

(…(自分と)等身大の薬師仏を作って、…「(私を)京に早く上らせてくださって、物語が多くございますと聞くのを、この世にある限りお見せください。」とひれ伏して額をつけて、お祈り申し上げているうちに…)

 

自ら仏像を作り上げ、額をこすりつけてお願いするのです。「物語が多くあるという噂の都に、私を行かせてください!!」と。

今でいう中1くらいの女の子ですよ。仏像を手作りするなんて、技術家庭の成績は5段階で「5」でしょうね。

 

また、中2の国語だと「走れメロス」が範囲になっている人もいると思いますが、この物語では、「自分を信じてくれている人の信頼に報いることは、命よりも大切なことだ!!」という気持ちでメロスは走り続けます。

結局、約束の時間には間に合うのですが、友人のセリヌンティウスと共に、「ちらっと疑いの心を持ってしまったから」という理由で「腕をうならせて」一発ずつ殴り合います。間に合っているのに。

「信頼」ということにまさに命をかけているのですね。

 

さて、授業の準備をしながら、ふと、自分には「命をかけられるぜ!」「人生をささげるぞ!」というものがあるのだろうか…と思いました。

熱中できるものがあるから良い、とかそういう問題ではありませんが、うらやましいなあとは思います。

 

皆さんは何か人生をささげたくなるほど熱中できるものはありますか?

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