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どん底

三鷹教室,武蔵境教室,武蔵小金井教室

こんにちは

武蔵野進学セミナー武蔵境教室・武蔵小金井教室・武蔵境教室の麻生です。

まずは、中間テスト頑張りましょう。

ない中学校もありますが、ラッキーじゃないですよ。

その生徒の方々も、あるつもりで今やっているところまでは仕上げておくべきです。

どうせ期末テストの範囲が広くなるのはわかっているのだから・・・。

ある中学校は早いところは明日から・・・もっと早いところもあるのかな?

とにかく、やるべきことはしっかりやってことに臨むべきです。

がんばれ!!

で、今日は武田信玄。

今、NHKの大河ドラマは徳川家康が主人公ですが、

徳川家康といえば、織田信長・豊臣秀吉と並ぶ戦国時代の3大ビッグネームですね。

でも実はこの3人も内心非常に恐れていて、戦国最強といわれていたのが武田信玄。

甲斐の国、今の山梨県を治めていた大名です。

先の3名より、年がずっと上で、いわば戦国武将の大先輩。

50歳くらいで急に病気で亡くなってしまうのですが、あと10年長く生きていれば

今の日本の首都は山梨県だったかもしれないといわれるほどの人物です。

ずいぶん前にこのブログで、ライバルの上杉謙信のことを書いたときに出てきましたが・・・

また登場です。

実はこの人、根が小心者で臆病者なんです。

お父さんは強かった。

甲斐の国にまとまりがなく、有力者がゴロゴロいて、それぞれ好き勝手やっていて争いが絶えなかった。

それを戦(いくさ)で勝ち抜き、甲斐の国を統一したのが父の信虎。

しかし、この人、戦で勝つことしか頭になく、領民のことはほったらかし。

不作による飢饉や大雨による洪水とかの災害で、領民が大勢死んでしまって困っていても

何もすることなく、戦のことばかり・・・。

家臣に対しても、逆らったら殺しちゃうよ・・・という強権的な対応・・・

人望がまったくなかった。

だから・・・追い出されちゃった・・・息子の信玄に・・・。

同盟を組んでいた今川氏のところへ用事でいった帰り、

疲れて門の前までたどり着いたら、門を閉ざされたうえ、鉄砲までかまえられて、

しかも何十兆も・・・

お家に入れてくれないんです・・・悲しい・・・。

わずかな数の家臣しか連れてなかった信虎は、なすすべもなく・・・

息子と家臣の裏切りを知って・・その後行方知れず。

噂では物乞いするところまで落ちてしまったとか・・・。

ちょっと気の毒。

で、長男として家督を継いだ信玄ですが

家臣にそそのかされたとはいえ、父を追い出すというかたちで・・となると

あと味悪い・・”やったるで~!!”という気にはならんでしょ。

確かにこの二人、仲が悪かった。

なんでも、信玄は幼いころから頭がよくて戦略的に優れているし、

それだけではなく家臣や領民のことを思いやる心を持っていたとのこと。

それが、信虎にとっては気に入らなかった。

どうして?・・・普通、後継ぎが優秀だとうれしいでしょ・・・。

それは、要するに、自分が一番優れている人物でいたいから・・・だって。

だから、信玄や大勢の家臣の前で、家督は信玄じゃなく、次男に継がせよっかな~

な~んてことを言ったりして、信玄にいやがらせしたらしいのです。

で、信玄は大変ショックをうけたとのこと。

やはり、信虎って・・・あまり好かれない性格だったのかも・・・。

そんなこんなで、もともと小心者で臆病者な若き日の信玄は、

家臣にかつぎあげられてトップにたって、それゆえ家臣に強く言えず、

さんざん勝手なことされ、それでも言えず、戦で負けを経験し、

父親同然の唯一心から本音で話しできる家臣も死なせてしまって・・・多くの家臣からの信頼も失って・・・

身も心もボロボロになってグレちゃった・・・毎晩酒びたり・・。

最強どころか最弱だったのです。

周りには強敵がたくさんいます。

このままでは甲斐の国はのっとられてしまう!

さて、信玄はどうやって、このどん底からはいあがり、

最強の戦国大名と言われるようになったのでしょう。

今日はもう疲れたのでおしまい。

次回また書こうかな・・・。

 

ではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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