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10分の長文を20秒で読む方法。

武蔵小金井教室

 

The slow one now will later be fast.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

武蔵野進学セミナー武蔵小金井教室の川原です。

 

 

 

わたしは、一般的には本を読むのが遅い方だと思います。

 

しかし、速く読めることもあります。

 

 

高校生の標準タイムが10分の英語長文を、20秒で読んで、正解できることさえあります。

 

 

どういうことか。

 

 

 

回り道をします。

 

 

先日、山について小説家の方が書かれたエッセイを、

一ページ3秒くらいで、さくさくと頁を繰って、読みました。

 

 

あらかじめ大枠の話を知っていたことに加えて、

 

八ヶ岳方面に行ったことがあり、調べ物もして知識があったこと、

 

黒斑山について、これから登りたいと思っていたので、下調べをしてイメージをつけていたこと、

 

などなど、

語られている山々の話を知っていたため、

 

話の筋から外れずに理解していくことができたのです。

 

 

 

くだんの英語長文については、こういうことでした。

 

 

話のテーマが、モーセの「十戒」でした。

 

英語長文読解は、当然ながら場数を積んでいることに加えて、

 

「十戒」の話にはなじみがあり、

対応した英語のキーワードも知っていたことから、

 

段落ごとに内容をさっと見て取って、全体の構造把握も間違えようなく、20秒で読み終わったわけです。

 

 

同じ立場に立つことができれば、誰にとっても容易なことだったと思います。

 

 

 

幼少の頃、夏休みなどになって、実家に行くと、

 

なぜか必ずハリウッドの名画『十戒』と『ベン・ハー』を繰り返し見せられていました。

 

いまもって謎ですが。

 

 

 

こどもの頃に刻まれるイメージは強烈で、一生忘れません。

まんがでも、活字でも、映像でも。

 

 

(映画で言えば、

大人になってから見たメル・ギブソンの『パッション』も心に刻まれましたが、

それでも、やはり幼少期の『十戒』の記憶には勝らないと思います。)

 

 

 

日本史でいえば、日本武尊、織田信長、真田幸村、坂本 龍馬、

中国史でいえば、伍子胥、孫臏、鄭和。

 

こどもの頃にマンガを通じて知った人物たちは、

そのマンガの絵柄やストーリー構成とともに、鮮烈なイメージで脳裏に焼きついています。

 

歴史科目に苦手意識は抱きませんでした。

 

 

 

小学生の頃に、ヘッセの『車輪の下』に触れさせられましたが、

 

マンガを通じて知った芥川龍之介の「地獄変」のイメージが鮮烈で、

同時期の記憶として残っています。

 

「絵仏師良秀」はずっとなじみのある話になったので、古典の授業でこの話に触れるときに役に立っています。

 

 

 

けっきょく。

 

情報を早く処理するためには、

その情報の「世界」に、あらかじめかかわりを持っているかどうか、

が大きく関係していると思います。

 

知っていること、なじみがあること、の世界には、何の苦もなく、すっと入っていけるし、

知らないこと、なじみがぜんぜんないこと、の世界には、ぜんぜん入っていけない。

 

 

 

「紅葉」という言葉を知らない大学受験生が、

英語のautumn leavesを訳せませんでした。

 

キリスト教的な世界観を教養として知らないがために、

他人の罪を許す、というテーマの詩が模試で出て、中学生は苦戦しました。

 

 

 

人間は、単純な情報処理の機械ではない

 

ので、

 

「世界」にたいするかかわり、なじみを持てなければ、

その「世界」のなかに進んで入っていくことはできません。

 

かかわりやなじみを持っていれば、いくらでも速く読めます。

 

 

そのとっかかりを生徒に与えられる「語り部」としての役割を、教師は担っている。

 

わたしはいつもそう思います。

 

 

 

とくに、国語という科目では、すべての「世界」を相手にしているので、

 

どんな「世界」にも入っていけるとっかかりを

生徒たちが無理なく受け取って行けるように、

 

日々、知恵を絞っています。

 

 

説明文のこのジャンル、物語文のあのジャンルが苦手、という話を聞けば、

その「世界」に入っていける語りをします。

 

わかりやすく、コンパクトに。

 

 

それが個々の生徒の個別の苦手の問題であれば、

 

その生徒のその時期にあった、適切で相応しい本を貸し出して読ませる試みも、行っています。

 

 

 

どの生徒にとっても、

その生徒が新しい「世界」へのかかわりをもてるべく、

それに相応しい「語り部」になりたい。

 

わたしは、日々、そう願って精進しています。

 

 

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