お池のほとりで
こんにちは。新川教室の吉田です。
『Occultic ; Nine (オカルティック・ナイン) 』というアニメをご存知でしょうか。
ムサシンのホームタウンでもある吉祥寺が舞台のオカルト&ミステリー作品です。
ある日、井の頭公園において凄絶で悲惨な事件が起き、多数の犠牲者が出ます。
主人公の少年は、そのニュースをテレビで見ているのですが、
身元の確認された犠牲者の名前が次々とリストアップされていく中、
ふと、そこに自分の名前があるのを発見します。
少年の名前はかなりレアなので、
その犠牲者はどうやら少年本人で間違いなさそうです。
「ってことは僕は」と少年は思います。
「自分でも気がつかないうちに、幽霊か何かになってしまったのだろうか?」
この井の頭公園の事件と、
少年の無自覚な霊体化の謎をめぐってストーリーは進んでいくわけですが、
ミステリアスかつスピーディーな展開に引き込まれ、
あっという間に12話全部見てしまいました。
タイトルからも推し量れるように、多少グロテスクなシーンもありますが、
真夏の到来も間近に迫るこの時季には、
オカルティックなお話もまた一興かなと思います。
──さて。
そんな折、実家の父から連絡がありまして、
「お前の家あてに宅配便を送ったが届いたか?」とのこと。
「いや、届いてない」と返すと、
「なら明日にでも届くだろう」と父。
何が送られてくるのだろうと楽しみにしていましたが、
次の日も、その次の日も、なぜか宅配便は届きません。
そのまま1週間も過ぎ、宅配便のことなど忘れかけた頃、
父から再度連絡があって、
「ヤマト運輸から、『平日の午前中に何度も訪問したが、不在で配達できず。
それどころか、郵便受けや玄関の様子からみるに、どうも長期不在のようだ』
という報告を受けた」
とのこと。
……午前中に何度も訪問?
……長期不在?
一体ぜんたい何の話をしているんだ? と僕はひどく混乱しました。
なぜならその1週間、僕の部屋を訪れた者は、誰一人としていないからです。
僕は毎日10時頃には目を覚ましていましたし、
たとえ寝ていたとしても、部屋のチャイムが鳴れば確実に目覚めます。
郵便受けを確かめたところで、ヤマト運輸の不在通知はおろか、
その他の広告物の類も入っていません。
かてて加えて、長期不在の様子とはどういうことでしょうか。
僕の意識ではいたって普通に日々を過ごしていただけなのですが、
傍から見ると、あまりに生活感が薄くて、
まるでその部屋に人が住んでいないかのように映るのでしょうか。
ここへきて、ハッとなりました。
そしてこんなフレーズが脳裏をよぎりました。
もしかしたら僕は、自覚していないだけで、
すでにこの世のものではなくなっているのかもしれない。
つまり、オカルティック・ナインの主人公と同様、
無自覚な幽霊となって、ここ数日を暮らしていたのではないかと。
僕はぞっとしました。
なぜなら僕の家は、作中の事件現場である、井の頭公園のすぐ傍にあるからです。
僕は冷静であろうと努めました。
落ちつけ、と自分に言い聞かせました。
そして、現在の家が井の頭公園の間近であるという奇妙な符合に、
もっと健全で真っ当な理由を求めようと、必死で頭を回転させました。
現在の家は、井の頭公園の間近である。
数分後、僕はある仮定にたどり着き、
あくまで一つの可能性としての仮説を父に伝えてみることにしました。
「ひょっとして、その配達物、三鷹の家に送ってない?」と。
そうなのです。
僕は今年の3月まで三鷹駅近くの部屋に住んでおり、
4月に今の吉祥寺駅近くの部屋に引っ越してきたばかりなのです。
その事実をきちんと把握していない、または忘れてしまった父が、
誤って旧住所あてに発送してしまった可能性は大いにあります。
数時間後、父から返信があり、
「ひょっとしていた(笑)。改めて吉祥寺の家に送ってもらうよう手配した」とのこと。
(笑)じゃねーよ(# ゚Д゚)
……と心の中で悪態をつきながらも、
「ありがとう」と速やかに、かつ冷ややかに社交辞令を返し、
今度こそ宅配便が届くことを祈って、しばし待つこととなりました。
──翌日。
午前9時45分。
ピンポーン。
いやー届きましたよ、ヤマト運輸から、僕のもとに、わりと大きめの段ボール箱が。
配達してくれたヤマト運輸のお兄さんともしっかりコミュニケートできましたし、
どうやら霊体と化してはいなかったようです。
やれやれ。
深く安堵するとともに、届いた段ボール箱を開けてみると、
中身は、アマノフーズの味噌汁セットでした。
やれやれ。
こいつのおかげで、ちょっとした臨死体験をしたんだなあ……
などという卑小な感慨にふけりながら、
さっそく大根の味噌汁をチョイスし、熱湯をかけて頂きました。
それはそれは熱々で、過剰にしょっぱくて。
なんというか、たいそう “浮世な味” がしましたね、ええ。
とまあ、そういうわけで、
ドライフードで生の実感を覚えたという、
梅雨時の一幕でございました。
オカルティックな出来事はもういいから、
もう少し雨がざあざあ降ってくれないものかと思う、今日この頃です。