シン
こんにちは。
新川教室の𠮷田です。
話題の映画、『シン・ウルトラマン』を観て来ました。
『シン・ゴジラ』の衝撃から早6年──
当時、“ゴジラ” という古典的モチーフを用いた全く新しい映画に、
鑑賞後、しばらく席を立てなかったのをよく覚えています。
第一形態から最終形態へと進化するポケモン的要素。
凄まじい咆哮や、スーパーエネルギー砲などのエヴァンゲリオン的要素。
あくまでそれらを科学的に分析する登場人物たちのリアリズム。
そして何よりのインパクトは、
ゴジラはただ移動しているだけ
という事実に気がついたときでした。
かつてのゴジラは、環境汚染した人類に対する報復という
明確な行動原理、攻撃衝動があったわけですが、
シン・ゴジラにはそれがない。
彼はただ生まれ、進化し、そして前進していた──
ただそれだけなのです。
(作中ゴジラは徹底して専守防衛を貫いています)
にもかかわらず、そのあまりの巨大さゆえ、
人類にとってはゴジラの移動が甚だ迷惑であり、脅威であると、
言ってしまえば、それだけの出来事だったのです。
目的も意図もないゴジラの前進に人類は右往左往し、
その英知やテクノロジーを駆使して全力で対処する、
いわば超規模の害獣駆除です。
かつてのゴジラが人災だったとすれば、
シン・ゴジラは天災──
誰が良いとか悪いとかではなく、
たまたま近くに存在してしまった2種類の生物が、
互いに不利益を生じ合う関係だったという、
そういうお話。
それをあれだけのエンターテイメントに仕上げてしまう……
やはり監督の庵野秀明って大したもんだなあと痛感したものです。
さて、その庵野秀明が企画・脚本を手がけた『シン・ウルトラマン』
否が応でも期待値は跳ね上がります。
ネタバレは避けねばとの倫理観から、
強く印象に残ったものだけ紹介すると、
一つは、人間と融合したウルトラマンが、
“人間” というものを理解しようとして、
レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読んでいたこと。
もう一つは、“地球を滅ぼすための生命兵器” という新たな概念を与えられた
かつての最強の怪獣「ゼットン」が、
あまりに巨大で、あまりに圧倒的だったため、
ガンダムの宇宙要塞「ア・バオア・クー」を彷彿とさせたことです。
あーなんか、ガンダムが観たくなってきました。
ついでに、シン・ゴジラも、エヴァンゲリオンも、野生の思考も。
作品1つ鑑賞して、それとリンクする作品群へと広がっていく––
ふむ。
作品鑑賞とは、常にこうありたいものですね。