抜歯にまつわるエトセトラ
こんにちは。
新川教室の𠮷田です。
先日、ずっと残していた「親知らず」をついに抜きました。
今回抜いたのは下の2本。
上の2本はとうの昔に抜歯済みでしたので、その2本は長い間、何を噛み砕くでもなく、
ただただそこに生えているだけの存在でした。
歯医者さん曰く、そのまま放置しておくと、少しずつではあるけれど、
周りの歯に悪い影響を与え始めるかもしれない、
とのことだったので、この度、思い切ってさよならすることに決めたのです。
きれいに生えていた親知らずだったので、施術に苦労はありませんでした。
めきめきっという、やや鈍い音を立てただけで、2本ともほとんど抵抗なく抜けました。
咀嚼という本来の機能を果たせなくなってからも、今まで健康を維持して、
奥歯という立ち位置を全うした親知らずたち──
なんとなく、前回のブログに書いた『プラン75』を思い出しました。
抜いた歯を処分しますかと訊かれ、持って帰りますと答えました。
捨てるにしても、よくよく観察してから捨てたいと思ったのです。
自分の奥歯を直にまじまじと観察できる機会なんて、そうそうないからです。
抜いたばかりでまだ血の乾かない親知らずたちは、どちらにも虫歯治療の跡があり、
ずいぶん丹念にケアしてきたにもかかわらず、しっかり歯石が沈着していました。
そんなふうにしげしげと見つめているうちに、なんだか親知らずたちが愛おしくなってきて、
さっさと捨てればいいものを、血を水で洗い流し、
歯石も爪切りのヤスリを使ってゴリゴリとできるだけ削り落としました。
そうしてちょっとだけきれいになった親知らずたちを、
少し迷いましたが、不燃ごみに出して弔いました。
なんとなく、『おくりびと』の気持ちがわかったような気がしました。
ふと、親知らずの由来は、本当に「その歯がはえてきたことを親が知らないから」なのか気になりました。
調べてみると、大方それで間違いないようでしたが、
一説には、先に生える乳歯を親に、後から生えてくる永久歯を子に見立てて、
「自分の親(乳歯)を知らない歯だから」──というのもあるそうです。
定説の方ならば主語(親が知らない)である親が、
この異説だと目的語(親を知らない)になっているんですね。
いやあ、面白い!
何にでも発見があるものですね。
ついでに英語で親知らずを何て言うのか調べてみたら、
wisdom tooth
知恵の輪ならぬ “知恵の歯” というわけです。
うーん……
歯の名前にしては、カッコよすぎません?
なんだかゲームの中の武器とかアイテムみたい。
じっさいスクウェア・エニックスの名作『Kingdom Hearts』と紙一重ですしね。
親知らず と withdom tooth
同じ概念に対する解釈の違いで、これほどネーミングにも差異が生まれる。
文化の違いって、やっぱり面白いですね。