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Buddha’s apple

新川教室

こんにちは。

新川教室の𠮷田です。

 

先日、『川っぺりムコリッタ』を鑑賞してきました。

『かもめ食堂』で一躍名を挙げた、荻上直子監督の最新作です。

 

不思議なタイトルを掲げたこの作品、

この世とあの世の境界線……の “ちょっとこの世側” を、

荻上流の、静謐でコミカルなタッチで丁寧に描いていました。

 

全編を通じて印象的だったのは、

とにかく食事(飲食)のシーンが多いことです。

大げさでなく、全体の7割くらいのシーンで、

登場人物の誰かが何かを食べたり飲んだりしていたと思います。

まるでそうすることで、私たちは辛うじて “この世側” に居続けられているんだと言わんばかりに。

それだけが “この世側” に居る理由なんだと言わんばかりに。

「食」そのものがテーマでないのに、あれだけ飲み食いするシーンが多い映画は、

ちょっと他にないんじゃないでしょうか。

 

「三途の川」という概念が示す通り、川は生死のボーダーラインたる象徴です。

その間際で展開される今作品には、生と死を暗示するモチーフがふんだんに散りばめられているのですが、

その中で最も印象に残ったのが、「喉仏」です。

上の写真は、背骨の上から2番目にある「軸椎」という骨ですが、

お釈迦さまが合掌しているように見えますよね。

この突起の部分が、男性の喉に見られるでっぱり(甲状軟骨。これは火葬すると残らない)と勘違いされ、

喉仏は、「のどぼとけ」と呼ばれるようになったみたいです。

 

 

ふと、喉仏は英語で何て言うのだろうと思いました。

(おや? 前回もこんな件があったような……)

調べてみると、  Adam’s apple

「アダムの林檎」だそうです。

旧約聖書において、アダムが智恵の実(林檎と確定しているわけではない)を食べたとき、

それを喉につまらせたというエピソードが語源らしいですが、

いやー、面白い!

日本では仏教由来、英語圏ではキリスト教(大本はユダヤ教)由来だなんて!

 

智恵の実を食べたアダムは、エデンの園を追放されるとともに、

永遠の命にあずかることを許されず、「いつか必ず死ぬ」という罰を与えられます。

そうして死から逃れられなくなった人間が、やがてその死を迎えるとき、

喉につまっていた智恵の実が、仏様に姿を変えて、死後の安寧を祈願している……

って考えたら、ヒトという存在が救われた気がして、なんだか素晴らしいですね。

 

「Adam’s apple」 から「喉仏」へ。

キリスト教から仏教へのバトンリレーによる、見事な救済ストーリーの完成です。

 

 

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