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シン体性とシン体制

新川教室

こんにちは。
新川教室の𠮷田です。

『シン・仮面ライダー』観て来ました。
『シン・ゴジラ』の庵野秀明の作品とあって、
『シン・ウルトラマン』以上の期待を抱いての鑑賞でした。

うーん、
面白かった!

冒頭から、「これって必要ある!?」と思わされるほどに残忍な血しぶきが迸り、
旧作では “改造人間”という扱いだったライダーや“怪人“たちは、現代風に “オーグメント”(AR=拡張現実)であると再定義され、かつては世界征服を企む秘密組織として活動していた敵組織ショッカーも、

Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling(人類の持続可能な幸福を目指す愛の秘密結社)

政治や宗教とは異なる言説やプロセスによって人類を幸福へ導こうとする、よく言えば革命集団、悪く言えばカルト集団として登場します。

今回のショッカーのオーグたちは、それぞれ固有のロジックをもって、人類を幸福へ導こうとします。
人類を幸福へ導こうというのだから、旧ショッカーのような単純な悪ではない。
悪なのはその方法論であり、政治的に言えばナチス、思想的に言えばオウム真理教を彷彿とさせます。

特筆すべきなのは、蝶オーグの幸福論。全人類からプラーナ(魂=生命エネルギー)を抜きとり、
世界を精神の快楽だけがあるユートピアに閉じてしまおうというのが彼のロジックなのですが……

これって『ONE PIECE  FILM RED』と同じじゃん!

というのが、率直な感想です。

上記タイトルの作品では、シャンクスの娘「ウタ」が、
「ウタウタの実」の能力によって、人類を夢の世界へと誘い、
苦しみや悲しみのない、願えばなんでも叶う「ウタワールド」に閉じ込めてしまおうとします。

両者に共通するのは、身体性のあるリアル(現実)こそが生きる苦痛の根本的原因であり、
そこからの解放(悪く言えば、そこからの逃避)こそが人類の幸福であるという、
一見真理かと思える独善的な理想郷論です。

実際、現代の幸福追求は、その方向へと舵をとっていますよね。
いわゆる「GAFA」を中心に、身体性(リアルなコミュニケーション)をともなわずに快楽を得られるシステムが次々と構築され、
我々は疑いもせずに、その快楽を率先して享受しています。

しかし、はたして本当にそれが私たちの求めるものなのか?

救いなのは、両作品ともに、そのような幸福は本当の幸福ではないという結論に至ることです。
シン・仮面ライダーでは、大切なのは「人のぬくもり」であること、
FILM  RED では、「人はやはり現実で生きていくものだ」ということが暗に示されます。

とりわけ FILM  RED が秀逸なのは、
「ウタワールド」と「リアルワールド」からの同時攻撃によるトットムジカ(ウタワールドの魔王)撃破という構図です。

すでに我々はノンフィクショナルな仮想現実に、多かれ少なかれ足を突っ込んで生きていますよね。
「ネト充」という言葉に顕著なように、インターネットを介した、
あるいはインターネット上でのみ交わされるコミュニケーションこそが実存であるという感覚を所持した人も、現在相当数いると思われます。

ですから、「やはりリアルが大事なんだ」との言説は、その人たちも含めた、双方の合意が不可欠なのです。
でなければ、「リアル主義」(「現実主義」だと従来的な意味が勝ってしまうので、あえて)という一つのイデオロギーに堕してしまいますから。

 

……とまあ、そんなわけで、ルフィとシャンクスの同時攻撃による、リアルワールドへの回帰──は、
良い意味で原初的な、まっとうな形での幸福追求の見直しに思え、
悲劇に見えるウタの死も、父シャンクスの腕のぬくもりの中であったことが、身体性による救済のように思え……

そんな名場面を Amazon Prime Video で鑑賞したのち、
Uber Eats でデリバリしたビッグマックをほおばりながら、
iPhone にダウンロードした Google Chrome を介してブログを書き綴っている、
身体性0% かつ 精神的快楽100%の僕がここにいます。

 

はたして本当の幸福とは如何なるものか?

 

そんな𠮷田も、様々な縁の巡り合わせで、明日から新川教室の教室長──

うん。
シン・教室長として、精一杯がんばります。

 

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