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どん底②

三鷹教室,武蔵境教室,武蔵小金井教室

こんにちは

武蔵野進学セミナー武蔵境教室・武蔵小金井教室・三鷹教室の麻生です。

先月は中間テスト目前でしたが、今月は期末テスト・・・目前というのはまだ早そうですが、

各教室、もう今週から対策授業が始まってますね。

中学校によっては、例えば三鷹七中はもう直前です。

各自、全力で頑張りましょう!

さて、今回は前回の続き・・・武田信玄です。

若き日の信玄は弱冠二十歳で、父を追放することで、いわば家臣に強引に大将に担ぎ上げられてしまったのでした。

家臣の中には、父信虎に対しての所業を快く思っていない者もいるし、

なんせ、側近の家臣は、ほぼみんなかなり年上で、家臣とは言え、幼いころから武将としての心得を指導してきてくれた人たちばかり・・・。

中には、若造扱いする者もいて・・・要は統率が全く取れていなかった。

だから戦で勝手なことばかりされて大敗を喫し、それをみ~んな自分のせいにされ・・・お母さんにも大目玉・・・。

”戦に負けるにしても、負け方ってものがある・・・。こんな無様な負け方は、武田軍としては考えられない!!

あなたは本当に大将として、武田家を、この甲斐の国を守っていく覚悟があるのですか・・!”

とまでいわれちゃった・・・!

確かにどんな理由があったにせよ、戦で負けたら大将の責任!

まずはそれを認め、次どうするのか決めて進んでいく・・・っていうのが大将として正しいあり方なのでしょうが・・・

わかっていてもね~まだ二十歳そこそこの青年です。

もともと頭はきれるけど、気がちっちゃい臆病な性格だし・・・で、

”あ~もうやってらんね~!!”ってなって・・・グレちゃった・・・毎日昼から酒浸り・・・どん底・・・

が前回まで・・・。

そんな時、見るに見かねた側近の家臣が・・・確か高坂弾正・・とかなんとか・・・信玄に直接言いました。

”最近のあなたは最低です。つらいことから逃げてるだけ・・・もしこのままというのであれば、即刻家督をしかるべき方に

お譲りください。でなければ甲斐の国は滅びます。

もし、あなたにこの状況を何とかしようという気持ちがあるのなら、とっとと立ち直ってこれからの方向を私たち家臣にお示しください。

私たち家臣は、命にかえてでもこの国を守りたいのです。

大将のあなたがこのようなことでは私たちも領民も困るのです。

なお、今のわたしの言葉が気に入らないのであれば、どうぞ今この場でわたしをお斬りください。”

この命がけの言葉に信玄は”はっ”としました。

目が覚めたのです。当然、高坂を殺すなんてしませんよ。

それどころか、命がけで自分を救おうとしてくれた高坂に感謝し、

その後、高坂は武田家臣ナンバー1になります。

その後の信玄はすごかった。

よくするためのいろんなことをガンガンやった!

家臣たちには、

①合議制を採用・・・どういうことか・・・

戦のことやらなにやら・・・いろんなことについて、まずは家臣の意見やアドバイスを聞く・・・

そのうえでトップの信玄が決定をくだす。

だから決定したことは絶対守れ・・・ということ。

当たり前のことと思われがちですが、当時は大将が強権的になりがちだった。

それが過ぎたのが父信虎の失脚の一因でした。

②伝令制の強化・・・どういうことか・・・

戦にはその時の状況を大将に伝えたり、大将の指示を各部隊に伝えたりするための伝令係がいるのですが、

それが、あまりよく機能してなかった。

先の戦で大敗を喫したのもそれが最大の原因ととらえた信玄は、伝令係のネットワークをより細分化かつ明確化、

さらに伝令係の役割の重要さをアップ、つまり伝令係の権限を大きくし、鍛え上げて能力アップさせた。

③自己判断で動くことを許す。・・・どういうことか・・・

これは①に反しているともとれるのですが、あくまで①のことを成し遂げてからという条件のもと、まだもっと何かできる余裕があった場合、

信玄の指示を待たず、その時の判断でよいと思ったことは動いてよし・・・ということです。

例えば、ある部隊が、まかされた敵を、思いのほか早くやっつけることができ、

その時、味方のある部隊が苦戦をしいられているとしたら、信玄の指示を待たず、

いち早く助けにいって戦う・・・こういう動きはOKだぜ!

むしろ、いっこくを争うのだから指くわえて待ってないでそうしろ!ってことです。

ここでは伝令係も役に立つし、信玄が家臣に信頼を寄せているのが伝わって、

家臣たちの士気が高まったそうです。

実際、それで救われたことが多々あったんだって!

④秘密の温泉・・・どういうことか・・・

戦での傷や疲れをいやすために、秘密の温泉風呂施設をつくって、家臣たちの保養施設にした。

信玄自らもその温泉につかったそうです。

敵に場所が知れるとまずいため、さすがに領民たちには内緒でしたが、

家臣にとっては、ありがたかっただろうし、

なにより、”うちの殿は、ここまでうちらのことを思ってくれておるのだな~・・・。”

ってなったことでしょう。

次に、領民たちには、

①河川工事・・・どういうことか・・・

当時の甲斐の国、河川の洪水が頻繁に発生したそうです。

そうなると当然農作物に甚大な被害が出ます。

飢饉の最大の原因です。

そこで信玄は、20年以上もの歳月を費やして、川沿いに数十キロメートルもの土手を築きあげたりして、

洪水がおこらないように河川の水の流れを調整したのです。

それにより、農耕地の面積も大幅に増やすことができ、収穫高がうなぎのぼり・・・!

農民も領民も大喜び!

この土手を”信玄堤(しんげんづつみ)”と呼び、今でも一部残っています。

②金の採掘・・・どういうことか・・・

これは信玄えらいっていうより、まさに運がよかった!

甲斐の山々には金が眠っておったのです!!

父の信虎も気づいていたのではなかろうか・・・とも思うのですが、

結果たいして利用しなかった。なぜだろう?

信玄はめちゃめちゃ利用しました。

当然ほかの国に売ったりもしたでしょうが、有名なのは、

その金を利用して、貨幣づくりをし、さらに貨幣制度を整えた。

当時においては最先端といえる制度を構築したのです。

それにより、経済的に良好な状態が安定化したとのこと。

そりゃあ~もう甲斐の国全体が大喜び!

ということで、いろんなことが見事に実を結び、

信玄は領民からの絶大な人気をゲットし、

さらに家臣たちの心をつかんで強固な統制を確立し、

連戦連勝の最強軍団と言われるまでになったのです。

さらに、甲斐の国は、野生の馬がたくさんいて、

信玄より前から、野生の馬をとっつかまえて調教するのがうまかった。

だから、特にその騎馬軍は”天下無敵”として、あの信長さえも恐れたとのこと。

残念ながら、信玄の死後、その信長と家康連合軍との戦い”長篠の戦”において、

鉄砲にやられて大敗し、武田家は滅亡まで追い込まれてしまうのですが、

もし信玄が生きていたらどうだっただろうと考えてしまいますね。

ということで、見事にどん底からはいあがり、戦国のヒーローにまでのぼりつめ、

今でも山梨県の人々の尊敬をゲットしている信玄ですが、

書いてきた通り、最初から成功への道まっしぐらではなかったんですね。

 

最後に、受験でも同じようなことが言えるのではなかろうか・・・?

何かって、なにもヒーローになるとか、土手をつくるとかではなく・・・

目標に対し、今の自分に足りないこととか、必要なこととかを自分で考え、

ときにはアドバイスを得て、決断し行動する・・・。

要は指示待ちじゃなく、自ら考え、行動する・・・そんなことが受験で成功するために

重要なのではなかろうかと・・・。

とはいえ・・・たぶんだけど・・・みなさん、日々、授業の復習や宿題をこなすだけで

精一杯!って状況でしょう。

無理もない!だから、今はそれでいい!大丈夫!今は基礎をじっくり固める時だからね。

いわばインプットの時期。これとても大事。

2学期期末が終わったら、テキストの内容を終え、入試レベルの問題に取り組んでいきます。

そしたら、それがアウトプットの時期の始まりです。

今まで蓄えてきたものを使っていく時期の始まりですなのです。

最初はなかなか思うように解けないものです。

そのときです!

くじけそうになるかもしれませんが、そのときこそさっきの”自ら考え、行動する・・・”

って言葉を思い出して欲しい。

自分でなんとかしろ!ってことではないですよ。

解けない解けないどうしよう・・・じゃなく、一度、どうすべきか落ち着いて、自ら考え、行動してほしい。

決断に困ったらどうぞ遠慮なくうちらのところに来てください!

自ら考えることなくアドバイスもらうのと比べ、その後の動きが変わってくるはずです。

 

ということで、まあ~ずいぶん長くなってしまいました。

はじめは気軽に読んでくれれば・・・と思っておったのですが、

最後、ついついちょっと説教臭くなってしまいました・・・ごめんね~!

 

今回がんばりすぎたので、次回は手を抜こうと思いま~す!

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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