『大菩薩峠』/大菩薩峠
江戸の往時。
東京都新宿を発し、青梅を経由して、山梨県甲府に至る甲州裏街道。
明治に至るまで、盛んに往来のあった重要な生活道。
以前、登った浅間嶺のルートもそこに含まれると言われています。
その最大の難所が、大菩薩峠。
「 標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、
東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれ
と祈って、菩薩の像を埋めて置いた、
それから東に落つる水は多摩川となり、
西に流るるは笛吹川となり、
いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります。」
(中里介山『大菩薩峠』)
中里介山が小説『大菩薩峠』で描いた、その世界。
大菩薩峠に登って来ました。
☆
台風の影響で、
4月から続けてきた、「週一回の登山」という記録が断絶にいたって悔しい思いをした、
塔ノ岳から数えて翌々週の休日。
甲斐大和駅から大菩薩峠へ。
甲斐大和は、武田勝頼終焉の地。
大菩薩上日川峠線のバスも、武田氏終焉のゆかりの地を通ります。
じつは、
甲斐大和に至るまでの中央本線の車中、
窓外の山々の風景、これすべて靄、靄、靄。
これまでの靄の経験を経て、
ああ、こんな条件で登るのか、と暗い気分でいました。
ところが、甲斐大和へ抜けると、
いってん晴れ空。
登山道を上がり、
頂上へ。
この大菩薩峠登山の最も大きな感動は、
振り返れば、美しい富士山と、天上に浮かぶ山々の姿。
峠に登頂して一休みした後に、
展望を邪魔していた靄も晴れ始め、
美しい展望が広がったのが、なんとも僥倖。
振り返り、振り返りして、気持ちの良い山道をたどっていきました。
この後、
大菩薩嶺、丸川峠を経て、下山しました。
☆
後日談。
わたしの担当する中学2年生の国語クラスの生徒のひとりと、
中里介山『大菩薩峠』のはなしで、盛り上がりました。
予期せず、この話題で相通じることができて、これもまた僥倖。