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富士山駅からはじまるエトセトラ。

武蔵小金井教室

 

 

むかし。

 

日本での恩師と、フランスでの恩師、

それに、先輩に私、という4人で

 

 

富士山に登りました。

 

 

御来光を見たことを、はっきりと思い出せます。

 

 

 

こんにちは。

武蔵野進学セミナー武蔵小金井教室の川原です。

 

 

 

 

 

 

フランス代表が世界一の栄冠を手にした翌朝。

 

 

富士急行線の、その名も富士山駅にいました。

 

 

富士急行線。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンプルな駅名。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山駅に置かれたベンチから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山の眺め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、釈迦ヶ岳という山に登りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釈迦ヶ岳山麓は、

すずらんの群生地として

知られています。

 

 

 

 

 

 

 

山麓の風景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釈迦ヶ岳は、

 

嵯峨(山の険しく、そばだっている様)ヶ岳が訛って

この名になったと言われます。

 

 

当日、甲府は気温37度。

 

夏の猛暑のなか、

いままででいちばん、汗をかいて、ぐっしょりになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頂上。

 

 

 

 

 

 

 

頂上から見た富士山は

完全に雲に巻かれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りの電車に乗った河口湖駅。

機関車トーマスとコラボレーションした車両に乗りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅舎内は、多様な国籍からなるひとびとで ごったがえしていて、

 

駅のアナウンスは、英語でしきりに「特急券をお持ちでないかたは・・・」と

繰り返していましたが、

 

 

客車のなかで出発を待っているときに、

わたしに英語でものを尋ねてきたメガネのヨーロッパ系の男性は、

 

 

フランス人でした。

 

 

たくさんの子どもたちを引き連れていて、その団体の責任者の様子。

 

 

 

電車が出発した車内、

 

女の子が調子はずれでいくつか節を歌いだすと、

大勢のフランス人の子等が、「ラ・マルセイエーズ」を大合唱。

 

フランスの優勝を祝していました。

 

 

車内で大合唱、は、パリのメトロではよく見かけた光景。

国際色を感じた車内でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山と文学、と言えば、新田次郎。

 

 

 

彼自身も、富士山頂の気象レーダーの建設に携わっています。

 

「『官庁の機構以上に複雑な機構を持った営利会社が存在するってことは、ちょっと想像ができないな、

これじゃあ富士山どころではない。』」(新田次郎『富士山頂』)

 

人間が三人寄ると、そこに政治がはじまる。

政治がはじまった組織で、理想が廃る。

 

 

同時に、「政治」に弄ばれ、あるいはそれに抗う姿も、新田次郎は描きます。

 

「『こんなことで腹を立てていてどうする。

これから先は死ぬほど腹が立つことが何度もあるだろう。

その覚悟でいるがいいぞ』」(新田次郎『怒る富士』)

 

これは、江戸時代、1707年の宝永噴火で棄民とされた被災者の言。

 

 

様々な時代の、富士山に関わった人々の姿を、新田次郎の小説では読むことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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