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ハロウィンの楽しみ方

新川教室

こんにちは。

新川教室の𠮷田です。

 

先日の日曜日、ハロウィンということもあって、

満を持して「水玉かぼちゃ」で有名な草間彌生美術館に行ってきました。

行こう行こうと思いつつ、早稲田というおよそ商業的でないロケーションと

コロナのせいで完全予約制(たぶん発券枚数がかなり少ない)になっていることもあって、

なかなかチケットを取るタイミングがつかめずにいたのです。

 

雨のそぼ降る中、ようやく訪れた草間彌生美術館──

(途中に「やよい歯科医院」なる歯医者があったのですが、無関係ですよね? おそらく)

白を基調としたモダンな建物で、

入り口付近のガラス壁には当たり前のように水玉がびっしり!

さもありなん、と思いながら、入場します。

チケットは紙ではなく、スマホに表示したQRコード。

館内に展示された全作品の早見表的な紙を手に、いざ鑑賞スタートです!

 

……いやあ、

……実に、

……難解ですねえ。

どの作品も抽象的で、象徴的で、幻惑的で、

タイトルを見ても、なかなか描かれているものとの関連がつかめません。

冒頭でも触れたように、草間彌生といえば「水玉かぼちゃ」ですが、

あれは彼女の作品群のほんの一部にすぎないことを痛感しました。

 

鑑賞すること小一時間。

彼女の作品を読み解くひとつの手がかりとして、

同一モチーフの過剰なまでの “反復”と“充填” がクローズアップされてきました。

(ていうか、ドットの使い方がすでにそうですよね。気づくの遅すぎ……)

ハッ!としたのは、

“人の目” で埋め尽くされた作品(タイトル失念しました)を見たときです。

 

──なんだかまるで動物細胞みたいだ.

 

わかりますかね?

目の輪郭が細胞膜で、瞳が細胞核。

そんなふうに見えたのです。

その気づきをベースに他の作品を見直してみると、

たとえば Infinity Nets なんかは、もはや植物細胞にしか見えません。

(“網” も草間彌生の代表的なモチーフのひとつです)

してみると、彼女のあらゆる作品に通底するのは、

有体に言えば、「生命の神秘」的なものなのではないか?

美術館の最上階に至る頃、

(この美術館は階段で階層を上がっていき、エレベーターで一気に下るという鑑賞ルートなのです)

上のような着地点を得ることができた僕は、ご満悦で美術館を後にしました。

 

帰宅後。

自分なりの解釈を得たものの、

一般的にはどのように批評されているのだろうと、

ちょっくらネットで草間彌生のことを調べてみました。

すると、例のドット・ペインティングは、

 

耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くしたように、

彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、

作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある。(『Wikipedia』より)

 

──だそうです。

なるほど、いかにも芸術批評って感じですが、

幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされたという彼女のバックグラウンドを知らなければ、

なかなか思いつかない解釈ですねえ。

 

耳なし芳一のお経…

幻覚・幻聴からの主護梵字…

うーん。

可愛らしい水玉かぼちゃが、

なんだか急におどろおどろしいものに思えてきましたね。

それこそハロウィンのお化けのように──

 

 

というわけで、通常とはちょっと違う形で味わった

2021年のハロウィンなのでした。

何もコスプレして渋谷に行くことだけが、

ハロウィンの楽しみ方ではないのです。

 

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