善意
こんにちは、新川教室の大東です。
善意とはいったい何なんでしょうかね。
誰かのためなのか自分のためなのか。
先日教室から帰っている途中で、道の左端から右端へ行ったかと思うと、
また左端へとフラフラと歩いている男性を見かけました。
その男性はたまに前傾姿勢をとり、またフラフラと歩くものですから、
初めのうちは、お酒を飲みすぎたのだろうと思っていました。
しかし、よくよく見てみると、男性が体を倒すたびに何かを拾って
それをレジ袋に入れていることに気が付いたのです。
そうです、男性は道に捨てられたごみを拾いながら歩いていたのです。
辺りもすっかり暗くなり、人通りもほとんどない道でしたから、
男性の善意ある行為はおそらく、ほとんどの人に知られることも
当然賞賛されることもないでしょう。
ただ、ここで言いたいことは、善意とはそういうものではないのかということです。
SNSなどのサービスが発達し、誰もが名前も明かすことなく発信できるこの時代で、
わざわざご丁寧に自らの顔と名前を公表して、「100万円募金してきました」や「どこそこのボランティアをしてきました」など発表する必要があるのでしょうか。
もちろん、そこには自らが発信することで、他の人にも同じことをという思いもあるかとは思います。
しかし、私にはどうしてもそこには、慈善活動を通して自らの評判を買おうという
卑しく悲しい考えがあるように思えてしまうのです。こんなことを言うと性格が悪く見えてしまいますかね。
ただ、とにかく善意はあくまで自分の損得を省みないことが必要なのではないでしょうか。
では、また。